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亘理町の山 21-030 |
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■地形図 |
亘理 (1/25000) |
■所在地 |
宮城県亘理町字卑下入(ヒガイリ) |
■山行日 |
2011年2月16日 |
■登山道 |
登山道なし |
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■ マップ |
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閑居山 (かんきょやま) |
標 高 / 三角点 |
204.4m / 三等三角点 (点名:竜円寺) |
概 要 |
亘理町字卑下入の閑居山は、亘理地塁山地の稜線上にある山。
東麓の稲荷山からの尾根筋を登ったが夜討坂経由で60分、紹介できるルートではない状態だった。 土地の人に聞くと何本か立派な道があり「断郊競走」コースとして卑下入から閑居山頂を経て北の割山峠から亘理町内へと駆け抜けたー時代もあった。 現在では想像もできないほどの荒れ道で、道形はあるが歩行不能(今回は下山時に歩いてみた)
結論は「主稜線上を北か南から歩く」但し北からのコースは西側角田市池田側の大規模な採石場により削られ危険な歩行を迫られる。 夜討坂を経て黒森山への主稜線ルートは幅1m強の立派な路。 稜線上にはいくつかのピークがあり山名もあるらいしいが確認できていない。
※ 断郊競走とはH23年で58回を数えるクロスカントリーレースで、現在では海岸部から麓の丘陵を巡るコースで開催されている。
所要時間=約60分 (黒森山からの主稜線ルート)
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特 記 |
※ 閑居とは、東麓卑下入ヒガイリに亘理町教委の「城下町ゆかりの地名」石柱があり、それによれば亘理伊達家菩提寺大雄寺の隠居寺陽林庵が建てられ閑静な地であったことから地名になったーと刻されている。
山はその背後に位置する。 閑居とは世俗を逃れて心静かに暮らすこと。また、その住まい。
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その他 |
※ 「閑居石柱」付近に慶月院墓というのがある。 62万石仙台藩を揺るがした伊達騒動で有名な原田甲斐の一族男子はことごとく斬首に処され、その生母は亘理伊達家に預かりの身になった。
彼女は食を断ち自死を選んだ。 74歳、墓は甲斐の罪ゆえ墓石ではなく自然石にした・・・町道から7分ほど歩いた尾根の上にある。
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