判官森は、国道457号線沿い、栗原市沼倉の栗駒小学校の裏山である。 昔、沼倉小次郎高次が領地とし居城を構えていた場所で、源義経が衣川で自害した後、義経の首は検分のため鎌倉に送られたが、残された胴体は親友だった沼倉小次郎高次が引取り判官森に埋葬されたと伝えられる。
栗駒小学校で利用しているためか、しっかりとした階段や散策路があり、体育館裏手の入り口に案内板があった。 真っ直ぐに判官森に登る道と小さな沢から回り込んで判官森と弁慶森の中間に登るコースがある。
山頂はアカマツなどの木々に囲まれ、義経の胴塚と云われる五輪の塔と石碑があった。 樹間から少しだけ周囲が見える。 奥へ道が続いていて、登りきった岩場の一段高い場所は弁慶森と呼ばれ眺めが良い。
東北地方には源義経にまつわる伝説が数多く残されている。 判官森にまつわる杉目太郎の身代わり伝説もその中の一つである。
話しは、京を追われた義経が身を寄せた平泉に始まる。 藤原泰衡の軍勢に衣川の館を攻めらた義経たちは、年恰好がそっくりの杉目太郎を義経の身代わりとして残し、義経を北国に逃がしたと云う。 身代わりとなった杉目太郎は自害して果てた。 杉目太郎の首は鎌倉に送られ、残った胴体は栗駒山の麓、沼倉の地に葬られたと云う。 暫くして、胴体は金成町の親族に引き取られ供養塔が建てられた。 すなわち、判官森に埋葬されたのは義経ではなく影武者の杉目太郎だと云うのである。
埋葬されたのが杉目太郎か、ホンモノの義経の胴体か? いずれにせよ義経にまつわる伝説が宮城県内の栗駒の地にあった。 判官森の事を知ったときは驚き胸踊る思いがした。 私が訪れた時、夕陽に照らされた五輪の塔はひっそりとたたずんでいた。
所要時間=登り:5分 |