【 駒新道とは、】
昔、仙台市新川から奥羽山脈を越えて山形の山寺千手院を結ぶ道がありました。
藩政時代は裏街道として、関所を通らない抜け道に利用された為、通行が禁じられていた道です。
明治の初めに高瀬村に住む我孫子駒吉が、
自費を投じて荷を背負った馬も通れる道に整備改修した事から駒新道と呼ばれるようになったそうです。
険しい二口山塊の山間を縫うように作られた約20kmに及ぶ道は人や物資の流通に使われましたが、
国道48号線の関山トンネルが開通したことにより、通る人も少なくなり廃道になました。
歴史からも忘れ去られた駒新道を保存しようと、宮城県側の一部は手入れされ現存しています。
また、駒新道について山形側の記録では、
馬が通れるように改修した道だったので駒新道と呼んだそうで、
我孫子駒吉が改修した記述は残っていないそうです。
面白山の西中腹を縦断する長左ェ門道から千手院に繋がる部分の名称を駒新道と言う説もあります。
山形県側の道は、奥新川峠から長左ェ門平を通り
長左ェ門道の途中から現在の面白山高原駅の北側斜面へ下る道だそうですが、
廃道となって久しく歩く事は出来ません。
微かに道の名残が見られる程度だそうです。
平成6年に仙台西コミュニティセンターで企画した市民講座で
宮城県、山形県の両方の関係者の話しをお聞きした唯一の資料として公開されています。
今回紹介するルートは市民講座の資料を基に里山文庫で歩いたルートです。
市民講座の詳しくは、『こちらのHP』をご覧下さい。
駒新道は一般的登山ルートではありません。
あえて歩くとすれば、新川口から途中の大笠山下までです。
途中に崩落した部分があり、地形のわかる人と歩いて下さい。
また、山形県に抜ける部分は道がありません。
駒新道コースマップ |
新川ルート |
新川口〜大笠山下〜丸子山分岐〜高倉平 |
猿倉山ルート |
面白山林道〜猿倉山下〜奥新川峠 |
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